インターアクト タイ研修
インターアクト タイ研修の写真が届きましたので掲載します。
タイ研修旅行に参加して
洛星中学高等学校 青木五郎
私にとってインターアクトクラブでの二回目の海外研修であった。前回はオーストラリアで、「楽しく観光ができた。」という思いが大きかった。しかし、今回の研修は前回と大きく違っていた。まず、訪れる国が発展途上国で、しかも田舎でのホームステイである。前年度の写真を見たが、今までの私の経験したことのない宿泊先に滞在できる。これは大きな期待を持っての出発であった。
まず驚いたのは、二日目のバーン・パンチャナ校での歓迎である。我々のために村の皆さんが集まり、盛大な歓迎式を催して下さった。この歓迎式はまるでお祭りのようにも感じられた。
次は私が最も期待していたホームステイである。壁はブロックを積んだだけ。屋根には穴が開き、空が見えている。雨が降ったらどうなるんだろう。小さな不安とともに荷物を開く。子供たちのために持参した折り紙や竹
とんぼを出してみる。タイスマイルのかわいい子供たちが大勢やってきて一緒に遊んでくれた。言葉は通じないが、本当に楽しいひと時であった。
入浴も楽しめた。水面には蚊が飛んでいる
やや濁った水。桶にとりそっとかぶってみる。
少し冷たかったがとても気持ちよく、なんだか自然と一体化しているような気分であった。
三日目のダーン・クーン・トッド校での歓迎にも驚かされた。普段の授業を休校にしての歓迎である。今すぐにでもプロになれそうな歌と踊りにも感激した。生徒や先生方と仲良くなることができたが、言葉の障害を感じた。英語が通じない!私の今までの海外旅行では、英語圏ではなくともなんとかコミュニケーションを図ることができたが、それがままならない。語学の重要性を痛感したひと時である。
今回の研修旅行を通じて、村の皆さんの歓迎に感謝するとともに、言葉の大切さを感じた。今後海外を訪問するときには、現地の言葉を勉強しておく必要がある。また、ホームステイ先の皆さんとの交流の時間が短かったことが残念である。最終日のゾウ乗りや川下りも楽しかったが、もう一日ホームステイがあればと感じた。最終日に体調不良の生徒が出たことが残念である。疲れが出たのか、食事が合わなかったはわからないが、われわれ教員団の生徒の体調管理に甘さがあったと考えられる。睡眠時間の確保など次年度への課題としたい。来年も再来年もまた行きたいと思えるすばらしい研修旅行であった。
最後にはなるが、今回の研修にご尽力いただいた辻様をはじめロータリークラブの皆様、
アルバトラベルの大北様、通訳また子供たちのお姉さん役として大活躍された大濱様に感謝いたします。ありがとうございました。
京都市立西京高校 長井佑樹
タイでの交流は予想をはるかに超えたものだった。
「長井君、放課後コミュニケーションルームまで来てくれる? 」
この言葉がなかったらタイでのすばらしい体験もなかった。
インターアクトクラブの情報は、ほとんど無かった。クラブ紹介にも出演せず、ポスターにもボランティアのことしか書かれていなくて、なにをやっているかすらしらなかった。兼部している理学部の先輩でインターアクトクラブ藤本会長だけが唯一のつながりだった。
タイに行けると聞いたのもコミュニケーションルームに入った時だった。しかし、はじめはただ行けるのか、と思っていただけだで特に深く考えてはいなかった。
インターアクトクラブにもなじんできたころ、西京高校周辺での清掃活動があった。ロータリーの方々と交流しながら、路上のごみをとってまわり、吸い殻などのごみを拾った。そして、清掃後、どうしたらポイ捨てがなくなるかについて話し合った。そのころにはもうタイに行くことは決まっていたが、これといって重点の置こうとしていたものはなかった。このときの街を見て、タイでどこに重点を置くかを決めた。日本では、道にたくさんのごみが落ちているがタイではどうなのか―、これがタイで一番見たいものだった。
しかし、タイでの交流が始まってからこの目標はすっかり無くなってしまった。タイの人ともっと交流したい―、わかりあいたい―、国籍を超えて踊りたい―、と思うようになっていった。もう
ごみなど、どうでもよくなっていた。たしかに、自分の住んでいる街に落ちているごみは気になる。だからといって、他の街と比べてどうなるのか、どうにもならない。よりきれいにする方法ぐらいなら見つかるかもしれないが、それではただの真似だ。せっかく交流できるのに見て学ぶだけではいけない。と思いそれからは精一杯交流していこうと決めた。その結果の一つが高校でのダンスだった。
高校の舞台にさそわれたとき時、
「タイにまで来たんだから、交流し切らなければ。」
このような考えで舞台へ立った。結果、タイの人にも楽しんでもらえたようだし、自分も楽しんだ。言葉が通じなくても、踊り方が違っても、一緒に楽しめたらそれでいいんだと感じた。
タイには笑顔が一番似合う。すべてが笑顔でできているようにすら感じた。その笑顔を見ると交流したくなるのだろう。
海外研修の感想
西俣 尚悟
今回のタイイサーンのダンクーントット村への海外研修では、良かった点と悪かった点があります。
まず良かった点ですが、現地の人たちが常に笑顔で暖かく出迎えてくれたことです。学校の前に並んで歓迎してくれているのを見たとき感動しました。使える言葉はあいさつの「サワティクラップ」くらいしかなかったなかでは大変助かり、またその貧困で困っているとは思えない人々の明るさに驚かされました。学校説明のときにもって来ていた写真が取り合いになるほど人気がありました。短い間でしたがホームステイ先の人たちともタイのスポーツや卓球で交流することもできました。卓球では小学校低学年くらいのこが信じられないスマッシュを打ちびっくりしました。高校生の人たちとの交流では英語さえもまったくつうじませんでした。学校内を案内してもらったんですがその広さや校内を犬が当たり前のように歩き回っていることなど日本の高校とはまったく違っていました。桜があるか聞いてみましたがないそうです。バイ・スィの儀式や踊りでは大変でしたがたのしかったです。ダンスなどろくに踊ったことのない僕にはちょっと無理な話でした。お別れのときに涙を流してくれて本当にうれしかったです。そのときに貰ったプレゼントは一生の宝物になるとおもいます。またホームステイするという普通に暮らしていれば一度も経験しないような経験もできました。観光ではゾウのりやボートでの川下りなど面白い体験ができました。
次に悪かった点ですが園児、小学生、高校生と、交流する機会はあったんですが、ホームステイ先の人たちと交流する機会が極端に少なかったことです。お世話になったのにほとんど交流できなかったのは残念です。観光の時間を減らしてでも何とか交流する時間を作ってほしかったです。小中高生との交流においいてもセレモニーに時間を使いすぎていたように思います。旅行ではなく研修としてタイに行ったのだから、もっと身振り手振りでの会話で、うまく通じなかったとしても、そういう時間のほうが大事だと思います。実際ダンクーントット村のことについて現地の人たちからきくことができませんでした。観光は、お土産を買うか、ゾウのりや寺院観光のどちら一つでいいと思います。また食事のことについてですが、ある程度量が減るとまだ残ってイルのにもかかわらず新しいのを次から次へともってくることです。結局食べきれずに毎回大量に残していました。タイで一番貧しい村にきて、食べ物を粗末にすることに対してひどい罪悪感を覚えました。一人分の食事の量を決めておくなどしないと非常にもったいないです。水も食事ごとに用意されていて、半分以上残っていてもお皿と一緒に下げてしまいました。日本と同じ感覚でものを考えているからこういうことになるんだとおもいます。観光でもバスの移動に時間をとられ十分な時間がありませんでした。蒼土産を買うときなど、熟知していない限り買いたい物を買えなかったと思います。
飛行機が墜落しないか、仲良くなることができるか、体調が悪くならないか、どんな所だろうか、いろいろな期待や不安がありましたが、滅多に経験できないことができて本当に良かったです。ちょっと田舎のほうに行くと違う国ではないだろうかと思ってしまうくらい貧富の差がありました。気候が似ているせいか日本とあまり変わらない風景でした。田舎のほうは僕の田舎の宮崎の動物の糞や田んぼのにおいが入り混じった独特のにおいがして、どこか懐かしい感じがしました。貧しいと聞いていたのでテレビでよく見る難民キャンプのようなところを想像していました。しかし、実際にはテレビがあったり、ラジオがあったりと、そんな所ではありませんでした。奨学金を貰っている人の家は貧しかったです。タイでは主に女性が家計を支えているときいたときは驚きました。男性がいるのにも関わらず女性が病気等の理由で働けないために、家庭が貧しくなるのもそれで納得できました。この経験を人生にどう生かせるかはわかりませんが、無駄にならないようにしたいです。