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spacer.gif ガバナー月信12月号
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黒川誠一福井活性化の第一歩
黒川誠一(福井RC・名誉会員) 入会:昭和33年7月1日

 昔は日本で表日本、裏日本と云う言葉があった。裏日本は後れていても仕方が無いと言われた。
 表日本は天気が良くて土地も広い。裏日本は天気が悪く雨や雪が多く、土地も狭いので、産業の活発化など考えられないと云う人が多かった。
 今は交通が発達して太平洋側と日本海側は一、二時間で往き来出来る。天候もそれ程の大きな差は無い。只山脈が日本海側に偏っているので平地が少なく、人口も太平洋側が9割で日本海側は1割しか無いが遠慮する必要は無い。福井県人は真面目で勤勉だから、遠慮せずに前へ前へと進めば未だ未だ活発な県とする事が出来る。
 しかも福井県は日本列島の真ん中にある。福井のいろんな会合で、席が指定して無い会合では九割以上の人が兎角末座へ坐る事が当たり前の礼儀と思っている。決して前の席へは坐ろうとしない。末席で余り発言もしない。まずこのおかしな風潮を直す事から出発して次々と改革を断行して行けば、小さな福井県ではあるが、全国の模範となる事が出来るだけの能力を県民はお持ちである。
 二十一世紀は先づ、この会合で成可く前の席へ坐る事からスタートして、次々と改革を続けて行けば、全国をリードする県とする事が出来ると私は信じている。ロータリー、クラブが先導に立つべきである。

松村季夫ロータリー懐古
松村季夫(勝山RC) 仮クラブ結成(チャーターメンバー):昭和36年6月28

 私の所属する勝山クラブは1961年福井クラブを親クラブとして誕生し44年を経過した。何か書くように云われたが私には回顧談しか無いので当時を想い出しながら書いてみたい。
 クラブ創立当初は親クラブの福井クラブの先輩諸兄より厳しくロータリーについて教えられた私達はこの教えを新興宗教になぞらえ、ロタ教と称し蔭口を利きながらも一生懸命に定款・細則そして手続要覧を繙き勉強したものであった。秦、森、緒方、堀内と歴代ガバナー訪問にはこちこちになりながらガバナーアドレスを拝聴し、クラブ協議会にはへまを云って爆弾が落ちはしないかと緊張の連続であったことを思いだすのである。今思えばロータリーの先輩達は如何にして新米会員にロータリー精神を会得させるか苦労されたのだと思われ、ロタ教などと評し申しわけなく思うのである。当時の年次大会には三大奉仕部門を中心に部門別協議会が開かれ必ず各クラブ壱名の出席を義務付けられ、若輩の私は他の会員が年次大会のプログラムにある映画鑑賞、観光と楽しんでおられる間分科会に出席させられ、リーダーから何時指名されるかとびくびくしながら座って居たのであったが今思えば係る厳しい教育があったからこそ現在のロータリアンとしての私があるのだと感謝している次第である。
 最近は出席率についても余り喧しく云われないが入会当初は「ロータリーは出席することに意義がある」と云われ年次大会に於いても出席率百パーセントの表彰がなされ各クラブが競ったのである。近年メークアップも前後二週間に改められ果して出席率が向上したか疑問であり、規則を緩めることが是かと考えさせられるのである。私ごとで恐縮であるが私は皆出席45年目になろうとして居る。
 昭和60年胃癌の手術で入院したが前後壱週間のメークアップの恩典を利用し手術後10日目に福井東クラブに油汗を流しながら出席し皆出席を通してきた。入会時出席を喧しく云われたことがこのような行動に出たのだと思う。要は心構えの問題であって新入会員にもロータリー情報を徹底させれば退会防止委員会も不要であり全ての会員がロータリーを楽しむことができると思われ安易に流れ厳しさの欠如がロータリーを危機におとし入れ、引いては会員の減少にも繋がるのではなかろうか。過去の年次大会には奥様方も多数参加され華やいだ賑やかな大会であったが当時と比べると今は淋しい限りである。家族の理解もロータリアンには必要である。
 入会当初先輩より「ロータリアンは皆、家に又は会社に帰ればワンマンで居るのだから例会の一時間位縛られる時があっても良いのではないか」と聞かされ私は納得して拝聴したのであった。



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