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4月はロータリー雑誌月間です

委員長ロータリー雑誌月間に





広報・雑誌・(IT)委員長 武部 宏(京都洛中RC)
 私は「ロータリーの友」の巻頭記事【スピーチ】が好きだ。平成16年11月号に「教えるもの教えられるもの」と題して和歌山県箕島高校の元野球部監督尾藤 公さんが岩国RCで講演された要旨が乗っている。私は読みながら泣いた。涙で目がかすむという表現は私も時々使うことがあるが、あの時は正に滂沱の涙だった。名門と謳われた箕島高校野球部の監督を29年の長きに渡って務められ
た尾藤さんが、若者に野球を教えながら、逆に彼らから多くのことを学んできたということをエピソードと共に語っておられる。
 ある年箕島高校の野球部で不祥事が起きた。二年生の部員が態度の悪い1年生に手をかけたというのだ。高野連も知るところとなり、夏の大会直前に出場辞退と言う決定が下される。甲子園へ行ける最後のチャンスを亡くした3年生の部員がグラウンドに集まって泣いた。泣きながら何時しか練習の真似事を始めた。泣きながらバッターボックスに立って打つまねをする。守備位置にいて捕るまねをする、監督はノックのまねを始めた。フェンスによじ登って捕ろうとする者もいる。何時しかグラウンドは大きな声に包まれていった。二年生にしてみれば自分たちのせいで出られなくなったのだから3年生に申し訳のない思いで一杯だったと思う。グラウンドの隅にうずくまって見ていたが、最後に記念写真を撮ろうということになった。3年生の部員たちは2年生を呼びに行き抱きかかえるようにつれてきて写真を撮った。3年生は自分たちが1番辛い時に2年生を思いやる気持ちを持っていたというのだ。
 1979年夏の甲子園大会は今も球史に名高いが3回戦で箕島高校は石川県代表の星陵高校と延長18回の試合をせり勝った。12回の表、星陵の攻撃で1点取られてしまう。その裏箕島は簡単に2アウト、そのときばかりは尾藤さんも、もう駄目かとの思いがよぎったという。するといったんバッターボックスに向かった選手が引き返してきて【監督!僕ホームラン狙ってもいいですか】といった。【ねらえ!】と言ったものの小柄な選手でホームランを狙えるような子ではなかった、その彼が見事にホームランを打ったのだ。皆がもうだめかと思いかけた瞬間に気持ちを試合に引き戻してくれたと書いている。その年箕島高校はあとの試合も勝って優勝するが、今読んでも泣けてくる。この号ばかりは私は会う人毎にコピーもし、回して上げた。私の担当するラジオ番組でも紹介させていただいた。友誌のスピーチ欄にはいつも感動の話が載っている。
 最近号では1月号のスピーチ欄に「人間の価値」のテーマで、エッセイスト鈴木ひとみさんの話だ。これも泣いた。1982年度の準ミスインターナショナル日本代表だから写真を見るまでもなく美人だ。順風満帆の人生を歩んでいた彼女に突然不幸が訪れる。モデルの撮影帰りのときに交通事故で下半身麻痺となる。ところが努力、努力の結果、車椅子競技の世界大会で金メダルを獲得するまでになり、アテネパラリンピックでは射撃に出場された「どこからどこまでが健常者でどこの部分が障害者なのか線引きか出来ないのです。他人と比べるものでもないし、自分の前の生活と比べるものでもないと思います。自分の残された体に期待をして最大限の努力をし社会に貢献すべきでは」と話しておられる。この号もまず家内に読ませ今も事務所のスタッフに廻し読みをさせている。
 「ロータリーの友」は左から横組みのロータリーの情報、解説から読むべきだと言う人もいるが、私は読みやすいところから読めばよいと思っている。「スピーチ」に続く「風紋」も感動編が多いし卓話の泉抄録に教えられることも多い。私もクラブの雑誌委員長を担当した年は友誌を先に受け取り例会時に、見所、読みどころを紹介する役目だったが、私は電車に乗った時は友誌を広げて乗客にタイトルがわかるように角度を工夫して読もうと呼びかけてきた。車内には多くの吊広告が出ている。イベントの案内だったり、週刊誌の広告はキャッチコピーにつられて駅の売店で買う事もある。そのことを思えば、車内のあちこちに品のよき人が「ロータリーの友」を拡げて読んでいる光景をイメージしていただきたい。吊広告に負けない広報効果を発揮するのではないか。ただし、くれぐれも足を組んだり、横着な格好でで読まないように願いたい。




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