title.gif
obj_head_bar.gif
spacer.gif
spacer.gif ガバナー月信3月号
line_02.gif

ロータリークラブ「奉仕の一世紀」(3)  (1929〜1949)
RI2650地区2005〜06年度ガバナー 大久保 昇

戦前の京都ロータリークラブとポール・ハリスの来日
 1925年に誕生した京都ロータリークラブは、京都が日本随一の観光都市であることもあって、時には重要なホストとしての役割も果たしてきました。
 例えば、1928年10月に東京の帝国ホテルで太平洋地域のロータリークラブの第2回大会が開催された時のことです。海外9カ国から109人、国内からは当時の田中義一首相も含めた459人が参加したこの大会のあと、100人あまりの参加者が京都を訪れたのです。京都ロータリーの例会に出席し、日本庭園での歓迎園遊会も行っています。
 1929年4月には第1回第70地区年次大会が京都で開かれ、京都ロータリーはホストクラブになりました。8クラブから385人、京都からは113人が参加し、華頂会館での本会議のあと、知恩院で精進料理を堪能し、都おどりの鑑賞や、京都御所の拝観など京都を存分に楽しまれたようです。また、1935年5月にも第7回第70地区年次大会が京都で開かれています。この大会には東久邇宮を来賓に、米山元ガバナーも出席されておられたとのことです。その懇親晩餐会が祇園歌舞練場で開かれ、ロータリーソングの日本語の歌詞がはじめて募集され、その当選者に京都RC出身の前田和一郎氏作詞の「奉仕の理想」が選ばれました。
 この1935年は日本のロータリー史上記念すべき年でした。というのは、ロータリーの創始者であるポール・ハリス名誉会長が、マニラで開かれた第5回太平洋ロータリー大会の帰路、日本を訪れたからです。ただ乗船したプレジデント・クールリッジ号が天候で3日遅れ、日本滞在が1日に短縮されたことが残念でした。しかしながら、忙しいスケジュールの中、東京では帝国ホテルの内庭に月桂樹の植樹をされ、そのおり「なぜロータリークラブを始めたのですか?」という質問に「寂しかったからだよ」と答えたという話が伝えられています。美しいニューイングランドの田園で友人達とのびのび育ったポール・ハリスは、殺伐とした大都会のシカゴで、「ファーストネームで呼び会える」友人が欲しかった、という思いが、ロータリーを始めた一番の動機と言えそうです。
 ポール・ハリスを乗せた船は翌日神戸に入港し、早朝の汽車で京都入りしています。二条城を見学した後、野村別邸碧雲山荘で茶菓を楽しみ、昼前には大阪に向かっています。

第70地区の自治性確立の試みと3地区への分割
 当時の日本が台湾や朝鮮半島、そして満州までを領有または政治的支配下に置いていたことはご存じと思います。この広大な地域全部を第70地区として、ひとつにすることには無理がありました。
 1938年に比叡山で開かれた地区協議会で、国際ロータリーの中央集権を排して各国単位の自治分権化を進める改革の動きがスタートし、第70地区を「日満ロータリー」として国際ロータリーには報告するが支配されない、という案を作成しました。そして、翌1939年にクリーブランドで開かれた国際大会で提案することになったのですが、結局は抵抗にあい、撤回を余儀なくされました。
 その代わりに理事会が認めたのは3地区に分割することで、本州東部と北海道を第70地区、本州西部と四国、九州、台湾を第71地区、朝鮮、満州を第72地区として「日満ロータリー連合会」がこれを統括するという案でした。この連合会の会長には米山梅吉氏が選出されています。
 この頃の日本は、1931年に満州事変、1933年に国際連盟脱退、1936年2月に2・26事件、1937年7月7日蘆溝橋事件、と戦争に向かって走りはじめていたという時代背景がありました。日本国内には反米感情が日増しに強くなっており、ロータリークラブがアメリカの連合会本部の管轄下に置かれている団体である、ということに抵抗を感じる日本人が多くなっていたことも考えられます。
 1939年9月1日、ナチスドイツの軍隊は国境を超えてポーランドに侵入を開始し第2次大戦が始まりました。日本はドイツ、イタリアと3国同盟を結んでいたわけですから、参戦するのは時間の問題と見られていました。基本的にロータリークラブは平和を愛する団体です。日本の軍部や右翼団体は反戦的ということで排斥を始めており、例会に特高という諜報専門の警官が詰めかけるという事態にもなりました。

国際ロータリーからの脱退と水曜会の設立
 こうしてロータリーに対する風あたりは日増しに強くなり、京都では右翼団体がロータリー排斥を議決し、「国家思想に反する、フリーメイソンの外郭団体だ」という書面が届けられたりしています。
 1940年8月14日の会合で、日満ロータリー連合会は存続を決議したのですが、地方では国際ロータリーから脱会するクラブが相次ぎました。
 京都ロータリークラブもその年の8月21日に脱会を決めています。最終的には9月4日、日満ロータリー連合会も離脱を決議し、のちに、米山会長が中心となって全国から集まった委員で「七曜倶楽部連合会」を設立しています。京都ロータリークラブは離脱を決める際、会長が91人全員に電話して意向を聞いています。存続派が21人、解散派66人、保留4人だったそうで、1週間後の8月28日には新たに「水曜会」を発足させました。もっとも解散に反対した人はこれには入らなかったということです。
 そして、1941年12月8日、日本も戦争に突入しますが、京都の「水曜会」の例会は終戦まで平穏に続けられたということです。ところで、日本より一足早く戦争に突入したヨーロッパ諸国ではどうだったのでしょうか?
 イタリアはムッソリーニの独裁政権下にあったのですが、長いことロータリーは認められていたようです。しかし、1933年にナチスがドイツの政権を握るに及んで、遂にロータリーには反ナチスのレッテルが貼られてしまいました。その結果、ドイツが占領したオーストリア、フランス、スペイン、ポーランドや同盟国のイタリアでも、ロータリーは解散せざるを得なくなり、違反者は逮捕される危険すら覚悟しなければならなくなったのです。
 しかし、ゴルフのクラブである、と言ったり、合唱団の集まりです、と偽ったりして会合を続けたケースはあちこちであったようで、このように活動を続けたクラブはドイツとオーストリアだけで25もあったといわれています。
 ドイツ占領下のフランスでこっそりクラブの昼食会を開いていたときのこと。ドイツ将校が入ってきたので、逮捕されると思って全員食物がのどを通らなくなったのです。ところがこの将校はドイツのロータリアンで、「敬意を表しにやってきました」と言ったので、全員肩を叩きあって喜んだという話しも残っています。
 また、占領をまぬがれたロンドンには難民が押し寄せていましたが、その中にはロータリアンも多く、難民のロータリアンが交流する組織が誕生し、例会を開き続けたそうです。1945年に第2次大戦は終結し、平和がやってきました。この時点でロータリーのクラブ数は5441、会員数は24万7000人に増えていました。

二人の偉大なるロータリアンがこの世を去った
 日本のロータリークラブの創始者米山梅吉氏は、終戦の翌年1946年の1月にこの世を去りました。日本のロータリーが復活するのが1949年ですので、残念ながらその日を見ずに亡くなったわけです。
 その遺徳をたたえ、記念として6年後の1952年「米山基金」が生まれました。この基金はロータリー財団と似たような形で運営され、海外からやってくる留学生の学費を援助し、日本で2年間研究させるというものです。1953年12月に240万円の資金で米山基金がスタートしました。第1回の学生は、1954年9月にタイから来日し、東京大学農学部で2年間を過ごしています。1957年には米山奨学委員会が結成され、1967年には財団法人ロータリー米山記念奨学会に発展しました。
 一方、ロータリークラブの創始者ポール・ハリスは、1947年に74才でこの世を去りました。子供のいなかったポール・ハリスは、愛妻のジーンとシカゴ郊外のモーガンパークにある丘の上の家でひっそりと暮らしていたようです。私も昨年に、この家とその近くのマウントホープ墓地にあるポール・ハリスのお墓を訪れてきました。彼の質素な暮らしぶりが感じられる、林に囲まれた静かなたたずまいの家でした。
 ポール・ハリスの遺言には、派手な追悼や像の建立などは望まないとされていたので、追悼の意味をこめ、世界中のロータリアンが一人10ドルを目安にロータリー財団に寄付することが行われました。

日本ロータリークラブの復活と再建
 1949年3月、東京ロータリークラブが念願の復活をはたしました。マッカーサー元帥と吉田茂首相が名誉会員として名を連ねたそうです。日本全国をひとつの地区とする第60地区に指定され、1949年7月に第1回地区協議会を東京で開催しました。第1回の地区大会は比較的戦災に遭わなかった京都で、1950年4月に開催されています。
 この大会は同志社大学栄光館で開かれ、国際ロータリーの会長代理としてアンガス・ミッチェル氏が出席し、出席者数は627名という大成功の大会となりました。この後、第60地区は急速に加入クラブが増えていくのです。
 当RI2650地区は京都府のほか福井県、滋賀県、奈良県を含めて独立した地区となるわけですが、それは1970年のことでした。(以下次号)
ポールハリス
ポールハリス
1936年、東京ですき焼きを楽しむポールハリス (A CENTURY OF SERVICE/デイビッドC.フォアード著より) 1935年、東京の帝国ホテルで月桂樹の植樹をするポールハリス (A CENTURY OF SERVICE/デイビッドC.フォアード著より)


spacer.gif
spacer.gif
Copyright 2005 Rotary International District 2650.
spacer.gif
spacer.gif