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ロータリークラブ「奉仕の一世紀」(1)  (1905〜1915)
RI2650地区2005〜06年度ガバナー 大久保 昇

〈今年度はロータリークラブの創立101年目にあたります。いわば、2世紀目に入るかけ橋の年でもあるわけです。そこで今月から6回にわたり、ロータリーが歩んできた一世紀を振りかえるとともに、日本のロータリー、京都、ならびにRI2650地区が辿ってきた歴史を回顧し、クラブの将来を展望する指針にできればと存じます〉

1905年のシカゴはどんな都会だった?
 弁護士資格を得てから5年間を世界放浪の旅で過ごしたポール・ハリスは、1896年、シカゴに事務所を開設しました。そのころのシカゴは人口160万人の大都市ではありましたが、世界博覧会が終わったため多くのビジネスが街を去り、景気が悪く、殺伐とした雰囲気の街であったようです。商道徳は地に落ちており、ポール・ハリスは詐欺や横領や倒産の犠牲者たちの弁護士として、地道にその地位を築いていきました。
 仕事の上では順調でしたが、ポール・ハリスには真の友人と呼べる相手がいなかったため、寂しい思いをしていました。以前郊外の友人宅を訪ねたとき、買い物に行っても商店主たちとファーストネームで呼び合って親しげにしていた光景が、ポール・ハリスの心に焼き付いていて、それがクラブを作ろうと考えた動機になったようです。
 1905年2月23日、ポール・ハリスはクライアントの一人である石炭商のシルベスター・シールとマダム・ガリのイタリア料理店で食事をし、クラブの構想を話し合ったのち、共通の顧客であり、このアイディアに賛成していた鉱業エンジニアのガスターバス・ローアの事務所で、洋服屋のハイラム・ショーリー誘い4人でクラブ発足を決めたのです。ローアの事務所のあるユニティービル711号室は歴史的な部屋として、現在、エバンストンのロータリー本部に移築されています。
 このときに話し合われたクラブの構想は、違った業種の実業家がメンバーになり、何よりも友人関係を築き、結果としてビジネスにもなる、ということで、まだ「奉仕」は考えていなかったと思われます。ニューイングランドの暖かい雰囲気の田舎で育ったポール・ハリスは、殺伐としたなシカゴの片隅に、ファーストネームで呼び合える友達のクラブを作りたかったのでしょう。1906年1月に作られた最初の綱領には、親睦と事業利益の増大の2項から成っております。

「社会のための奉仕」を綱領に加えたドナルド・カーター
 ロータリーはしだいに会員数を増やしていき、1年後には80名前後になっていました。1906年4月に入会を勧誘されたドナルド・カーターという特許弁護士が、綱領を見て「こういうクラブは、会員以外の人の役に立つようなことができれば、将来性があると思います」と言ったのです。
 カーターは1906年5月に入会し、1907年に3つ目の綱領を書き加えました。それは「シカゴ市の最大の利益を推進し、シカゴ市民としての誇りと忠誠心を市民の間に広める」というものでした。
 ロータリーの会員である銀行や法律事務所や保険会社の経営者たちは、こぞって街角に公衆トイレを建てました。またメンバーはこぞって恵まれない子供達を助け、貧民街の人々に食べ物の詰まったバスケットを用意して届けるようになったのです。
 単なる親睦と相互扶助のクラブだったロータリーはこうして「奉仕」のクラブに成長しました。以来一世紀にわたって、さまざまな奉仕活動を行ってきたのです。
 ただ、この時点ではロータリーはシカゴだけのクラブであり、ポール・ハリスはこれをカリフォルニアやフロリダに拡大したかったのですが、反対意見がにあってできなかったのです。

サンフランシスコを皮切りに全米に拡大
 皆様は1905〜7年といった時代が、どんな時代か想像しにくいかもしれません。日本でいうと明治38〜40年、日露戦争がセオドア・ルーズベルト大統領の仲裁で日本の勝利に終わったのが1905年9月のことでした。鉄道はありましたが、まだ自動車は一般化しておらず、むろんテレビもラジオもないころでした。
 フォードがT型という初めての大衆車を売り出した1908年、ポール・ハリスの意を汲んだ青年セールスマンのムノズが商用でサンフランシスコに行き、ホーマー・ウッドという弁護士にロータリーの話をしたのです。興味を持ったウッド弁護士はポール・ハリスに手紙を書き、喜んだポール・ハリスはクラブ運営の詳細と激励の手紙を何回かウッドに送りました。その結果、1908年11月12日に世界で2番目のロータリークラブがサンフランシスコに誕生しました。晩餐会が行われたのは、今もあるセント・フランシス・ホテルで、ウッドは初代会長に選出され、新聞のオーナー社長など多くの実業家がメンバーになりました。
 これが契機になって、湾を挟んだ対岸のオークランドにもロータリーができ、シアトル、ロサンゼルス、ニューヨークと拡大し、1910年にはミネアポリス、ポートランド、ニューオーリンズなど全米16都市に広がりました。その結果、8月に全米のクラブの代表がシカゴに集まり全国大会を開き、クラブの連合体を発足させたのです。この時にシカゴのクラブは自動車委員会を作り、手分けして参加者を車で駅からホテルまで送り届けたということです。

ロータリーの発展を実質的に支えたのは事務局長のチェス
 どんな組織もしっかりした事務局長がいなければ健全な成長を期待することはできません。1910年にポール・ハリスに見込まれたチェス・ペリーは32年間にわたって文字どおり休みなく働き、当初はスタッフすら置かずに事務一切をこなしたのです。チェスが事務局長にならなかったら、今日のロータリーはなかったと言っても過言ではないでしょう。しかし、働き過ぎのチェスはシカゴ一といわれる美人の妻からも離婚され、まさにロータリーと結婚した状態で65才を迎えたのです。全米に広がったロータリーは1911年にカナダのウイニペグに進出し、国際化をスタートさせ、1911年にはアイルランド、英国にもロータリーが設立されました。クラブの数はこれらを含めて36に増えていました。しかし、事務局の予算は月額25ドルしかなく、チェスは年間の事務所費用816ドルも自腹を切って負担していました。
 コンピュータで手紙が打てる今日ならともかく、当時は旧式のタイプライターで打たねばならず、それでもチェスは年間6000通を超える手紙を一人で打っていたというのですから、日曜祭日も厭わず夜も働いていた、というのはよく解ります。

奉仕を活動の中心課題にしたのは1911年
 この年ロータリーの閉鎖性を非難する新聞記事が相次ぎました。会員間の取り引きが奨励されていたため、互恵のための排他的なクラブである、という印象を持たれたのです。ポール・ハリスはこれを受けて、会員間の互恵取り引きを中止するよう呼びかけ、奉仕に活動の重点を置くよう方向転換したのです。
 「Service Above Self(超我の奉仕)」というスローガンがつくられたのも1911年のことでした。
 1912年にロサンゼルス・クラブは4000ドルをアメリカの横断高速道路のプロジェクトに寄付しています。
 1913年にはオレゴン州ポートランド・クラブが地元の汚職を摘発しました。1914/1915年度にネブラスカ州リンカーンのクラブは、リンカーンとオマハを結ぶ高速道路のプロジェクトを資金的に後援し、さらに地元の病院の資金援助も行っています。
 倫理的な事業行為を推進したいというロータリアンの理念は、バーモント州の田舎町で信頼出来る隣人達に囲まれて育ったポール・ハリスが盛り込んだ思想で、ロータリーの「職業奉仕」という概念に生かされています。

1914年、欧州で第1次大戦が勃発
 1914年6月、サラエヴォで起こった皇太子暗殺事件をきっかけにして、欧州全土が第1次大戦に巻き込まれました。モンロー主義のアメリカはウイルソン大統領が中立を宣言しますが、結局は1917年4月に参戦せざるを得なくなります。
 そして、開戦と同時に欧州各国では多くのロータリアンが前線に向かうことになったのです。ある会員が、イギリスのロータリー事務局長トーマス・スティーブンスに「戦時は昼食会も延期ですか?」と聞いたら、言下に「絶対に延期などしない!」とどなって、「奉仕(service)はいまやsが大文字であるばかりか、全部大文字にしなくてはならない、と言ったという記録が残っています。事実、イギリス全てのロータリークラブが戦争奉仕委員会を設けて、地域住民も動員して戦争協力体制を敷くとともに、ベルギーから逃れてくる難民の保護などを行ったのです。アイルランドではベルファーストのクラブがフランス戦線の負傷者を救うために、救急車を整備・配送しています。スコットランドのエジンバラでは、海外に出征している家族の子供達を集めて楽しませる催しを実施しています。
 また欧州以外の地域、たとえばトロントのロータリーは、英連邦の一部であることもあってか、戦争救援のために国際赤十字に22000ドルを寄付しています。これらが、ロータリーが発足してからはじめての戦争における活動体験となったのでした。 (以下次号)
最初のロータリアン。左からシルベスター・シール、ポール・ハリス、ハイラム・ショーリー、ガスターバス・ローア。
(A CENTURY OF SERVICE/デイビッドC.フォワード著より)
ロータリー・クラブの最初の奉仕プロジェクトとして、シカゴのダウンタウンに設置された公衆トイレ。
(A CENTURY OF SERVICE/デイビッドC.フォワード著より)


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