第5章
ロータリーの課題と展望
出席者 千 宗室/中野重宏/二橋貞雄/坂部慶夫/宮崎茂和/司会 西村大治郎
本章については、国際ロータリー第2650地区の千宗室ロータリー財団管理委員・国際ロータリー元理事、および中野重宏、二橋貞雄、坂部慶夫各パストガバナーならびに宮崎茂和ガバナー(役職は当時)をパネリストとし、西村大治郎パストガバナーの司会によって催されたパネル討論会の記録をとりまとめて記事とした。なお、討論会は平成11年6月21日(月)京都ホテル5階鶴の間において13:00より15:00にわたって行われた。
曲がり角に立つロータリー
司会 2005年にロータリーは創立100周年を迎えようとしています。1905年ポール・ハリス以下4人によって始められたロータリーは、倫理運動であるが故に多くの人達の参加を得て今や161の国528の地区29,728のクラブ、1,193,461人の会員を擁する巨大な組織に発展しました。しかし、世界は刻々と変化を遂げており、ロータリーもそれに対応し、変革しなければなりません。
さて、現在私たちを悩ましている問題といえば、会員増強が頭を打ってきたということです。先ずこの問題について皆さんのご意見を伺いたい。
宮崎 会員増強というよりも会員減少をいかにして食い止めるか、これがガバナーにとって大問題ですが、苦労した割合に成果があがりません。
坂部 量の拡大にばかり力を入れてきた結果、基本となるべきロータリーの奉仕哲学を失ってしまった。
二橋 質が落ちた結果ロータリーのディグニティが失われてきたことが大問題であるように思われます。
中野 会員増強の進まないのはロータリーの魅力がなくなったからではないでしょうか。ロータリーの友愛や奉仕が口先だけのことになってしまったのでは。
千 皆さんのおっしゃっていることは全くその通りであります。このままでいったのでは本当に訳のわからんロータリーになってしまう。そのことは、国際ロータリーでも真剣に取りあげているところで、何とか本来の姿に戻して21世紀に向けて発展できるよう一生懸命やっています。幸いにも財政問題が好転し少し余裕が出てきましたので、近くロータリーの革命的変革が行われることもまちがいないでしょう。
司会 ロータリーの現状を改革するためには、国際ロータリーの会長自身がロータリーの基本にかえって、ロータリーの信用と魅力をとり戻さなければならないでしょうが。
宮崎 1999-2000年度の会長カルロ・ラビッツアさんのテーマは今までにないもので「2000年を期して堅実、信望、持続をしよう」というものですが、この中の「堅実」というのは、すべてのロータリアンがロータリーの本質をわきまえて同じ土俵でいろいろな問題をやっていこう。
「信望」というのは、ロータリアンが会員同士で信望され、さらにロータリーが地域社会で価値ある組織とみなされ奉仕活動と道徳的規範によって知れ渡るようにする。
「持続」というのは指導者が毎年変わってもロータリアンの指導力を活用して価値のある奉仕活動を継続する。今までどうかすると、奉仕活動は一年限りとするといった誤解があったが、価値のある活動は毎年クラブで充分検討を加えた上で続けてやるべきである。
それら三つのことを2000年という新しい世紀の開幕の前にやって行こう。そうすることによって現在衰退に向かっているロータリーを盛りかえそうというのです。
ロータリーの魅力は何か
司会 先程ロータリーの魅力が失われてきたという中野さんのご発言がありました。では、ロータリーの魅力というのは一体どういうものなんでしょうか。
坂部 一つ忘れることが出来ないことは、私がはじめて医者として渡米したとき、京都クラブの堀内清先生と望月成人先生に挨拶をしに京都ホテルの例会場に行ったとき、丁度ロータリーの例会が終わるのをお待ちしているとまもなくお二人が出てこられて私に対して非常に励まして頂いたのですが、その時ロータリーというところはすごく権威のあるところのように感じられました。
司会 ロータリーという所は何だか大へん怖いところのように感じられますが、実はそれどころではなく、先輩がよく後輩の面倒を見るところです。
坂部 京都クラブの吉田督識さんから伺った話によると、吉田さんが28歳の若さで入会されたそのすぐ後で大阪クラブへメーキャップに行かれたときのことですが、品のよい紳士が初対面の吉田さんに大へん丁寧にもてなして下さったので、感激されたそうで、後でそれが有名な村田省蔵さんであったときかれて二度びっくり、ロータリーというところは大へんなところだということを学ばれたそうです。
中野 新しい会員に対して先輩が一声をかけるということがどんなに大切かということを私もよく体験しましたね。クラブによってはテーブルマスターをおいて卓内の話し合いを活発にしようとしているところがありますが、それも形ばかりでは効果があがらない。一人一人がお互いに話しかけたいという気持が必要です。
二橋 誰しも初めの間は緊張していてオリエンテーションを聞いても今一つピンとこないものですが、先輩の方から近づいてきて「どうですか、何か困ったことわからないことはありませんか」なんて言うて頂くとすっかりうれしくなって、よし、頑張ろうという気になるものです。これがロータリーの魅力ということなのでしょうね。
中野 ロータリーのことを一生懸命勉強するとロータリーが好きになるものです。それもロータリーの魅力といえるでしょう。昔はロタキチとかロータリー博士とか言われた人がたんとおられましたが、そういう熱心な方々の存在がクラブを活気づけていた。
司会 例会に出席することはお互いがロータリアンであることを自覚する意味で大切で、例会が休会になると、何か気が抜けたような気分になります。例会を通してロータリーを知るだけでなく、自分も一つの役割を果たしているという満足感が魅力の一つといえます。
宮崎 全くその通りですね。ロータリーではパーティシペーションつまり参画することが大事です。お客様気分ではロータリーの崇高な魅力は味わえません。
千 ロータリーアンは選ばれたものであるという誇りをもつ者であり、選ばれた者の義務、つまりノーブレス・オブリージェをもつものです。そこに本当のディグニティが生まれるのです。
司会 ロータリーのもう一つの魅力は、ロータリーという国際的な組織に所属して国際的な奉仕活動ができることです。
二橋 ともすれば島国根性といった閉鎖的な心情を持ちがちな日本人に、ロータリーは心の窓を開いて海外の人たちと交わるという機会を提供してくれます。
宮崎 海外へ出て行かなくても、居ながらにして海外の人たちと接触できるのはロータリーではないでしょうか。
中野 ロータリー財団奨学生や米山記念奨学生を迎えると、今まで国際交流は無縁のものと思っていたのが、身近なところでそれが出来ることがわかって世界が近くなってきたように感じられます。
千 日本人はもっともっと心を開いて海外の人たちを受け入れるようにすべきです。言葉が出来ないというハンディがあっても、手振り身振りで表現すれば、必ず心は通ずるものです。具体的にはロータリアンはもっと自分の家庭を開放して、海外からのビジターをホーム・ステイさせるべきです。勇気を出して一度やってみると、存外たやすく出来るものです。外国人を敬遠しておっては、国際交流なんか出来るものではありませんよ。
「奉仕の理想」は普遍的か
司会 ロータリーでいう「奉仕の理想」は、本当に日本人に受け入れられているのでしょうか。サービスという言葉は、日本では安くするとかタダで人にあげるとかいう様なときに使われていますが、本来はもっとちがった内容をもっているのですがね。
坂部 サービス Service は辞書によると、最初に being servant と出てあります。つまり神の善き僕になるといった宗教的な意味をもっているのですが、それから自分の善意や義務を果たすといった意味にも用いられます。わかりやすく言えば「お勤め」です。
宮崎 日本人にとって一番わかりやすいのは「布施」ということばでしょう。
二橋 布を施すということは糸を紡ぎ、染め、織って反物にする長い時の中で供養する心が自ら熟成されていく。それが布施の意味するところでしょう。
中野 聖書には「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」とありますが、論語には「己の欲せざる所を人を施す勿れ」とあります。丁度逆の言いまわしですが、考え方は同じです。
千 私は人に施すべき何物も持っていない、そういう場合どうしたらよいかと言われる人があるかも知れない。よく無い袖はふられぬといわれる。しかし無い袖のふり方を考えることが大事なことである。無財の七施といわれるものは眼施・和顔悦色施・言辞施・身施・心施・床座施・房舎施です。
司会 日本では、ロータリーは紳士の修養道場であるといわれています。紳士は穏健と柔和を好み、公正と親切を愛する者であるが、他人に対する thoughtful mind(思いやりの心)、helpful mind(助けとなる心)をもつ人であるともいわれていますが。
宮崎 国際ロータリーの標語の第一とされている Service Above Self(超我の奉仕)、第二とされている He Profits Most Who Serves Best. (最もよく奉仕する者、最も多く報いられる)は共に奉仕の哲学を表現しているものです。
坂部 国際ロータリーの会長カルロ・ラビッツアさんはさかんに「献身」(devotion) ということを強調しておられますが、日本のロータリアンは「献身」というコトバに多少抵抗があるようですね。
中野 日本にも「不惜身命」ということばがありますし、仏教で「捨身飼虎」とも言います。必ずしも抵抗があるとは思わない。
司会 私はかつてフィラデルフィアの世界大会での講演で No service without self. ということばを聴いて、さすがにうまいことをいうなあと感心したことがあります。「自分なくして奉仕はありえない」私を滅してしまってはいけない。むしろ自分を生かすために奉仕をするという意味で、滅私奉公を完全に否定しているのです。
千 仏教でも「自利利他」ということばがあります。仏心というのは、自分を否定するとか肯定するとかではなく、自分を超えたより大きい自分に目ざめることであります。それが悟りであり、そこから菩堤心も生まれるのです。
二橋 奉仕の心というのは平たくいえば「親切心」ということではないですか。他人によくしてあげる心、これが奉仕の心だと私は思いますが。
坂部 私は少しバタくさい言葉のようにきこえるかも知れませんが、奉仕の心というのは、「愛」の一字でよいのではないかと思います。ロータリーでは「友愛」ということをよく言いますが、その「友愛」というのは、ロータリアン同士の中の「友愛」でなく、もっと広くいえば人類は一つ、すべての人たちがそれぞれの立場を超えて愛し合うことをさすと考えますが、いかがでしょうか。
中野 世界社会奉仕(WCS)が今日盛んに行われるようになったのは、本来社会奉仕は地域社会の人たちのために奉仕してきたのですが、地球上を見ると、富めるところと貧しいところがあって沢山の子供が飢餓のため、病気のために沢山死んでいる。また満足な教育を受けられないで字も書けない難民も沢山いる。そういった状況を見過ごすわけにいかなくなって WCS が始まったのです。世界を大きい地域社会と考えたのですから、その底に流れる考え方は坂部さんのおっしゃる愛の精神に外ならないでしょう。
司会 ロータリーは色々な奉仕活動をしておりますが、その根底にやはり「愛がなければいっさいは無益となる」ということになるのでしょう。
職業奉仕こそロータリー
司会 職業奉仕はロータリーの金看板であるといわれる割合に、ロータリアンは職業奉仕をおろそかにしてはいないでしょうか。
宮崎 そういう傾向はたしかにありますね。職業奉仕を Vocational Service といいますが、その Vocatio ということばは天職とか召命といわれきわめて宗教的なニュアンスをもったことばですが、それがなかなか日本人には納得が出来ない。そのために、職業奉仕は何をやってよいのかわからないといわれる。
中野 私も同感ですが、たしか昔の委員会資料には、売手―買手関係とか雇主―使用人関係とか、同業者関係とかいった小委員会を設けてやるように教えられた記憶があり、そういった関係をよくすることが具体的な活動内容であったようです。
千 それにフォア ウエイ テストを普及することも職業奉仕の実践です。
坂部 フォア ウエイ テストはハーバード・テイラーさんが会社の建て直しを依頼された際に自分で考えつかれたものでして、1、真実かどうか 2、みんなに公平か 3、好意と友情を深めるか 4、みんなのためになるかどうか の四つでありますが、2と4の「みんな」というのは原文では関係者全員にとってと書かれており、中野さんのおっしゃった売手や買手や従業員などの関係者全員にとってと原文では書かれています。また Four-Way Test というのは四つ辻に立って自分に問うテストという意味でして、たまたま四ケ条ですので四つのテストと訳されていますが、四本の道ではないことを注意すべきでしょう。
二橋 フォア ウエイ テストを色々なモノに記して配っていますが、肝腎の自分に問うている人がどれだけあるのでしょうか。
宮崎 職業奉仕に関する声明が出て、今まで職業奉仕は各ロータリアンの責務でありましたのが、さらにロータリー・クラブの責務でもあると改められました。所謂「アイサーブ」から「ウイサーブ」となったのです。福井の方では、多くのロータリー・クラブがクラブ所在地の高校の就職希望者を対象に模擬面接ということをやって大へん喜ばれていることを申しておきます。
千 職業奉仕はロータリー固有のものであります。それはロータリー・クラブが一業種一人の会員から成り立っていることからくる特長であります。ロータリー・クラブには他のサービスクラブにはない職業分類というものがあり、その職業分類によってロータリーから選ばれた会員ですから、自分の職業を通して、また自分の属する業界を通して地域社会に奉仕しなければならないのです。
中野 阪神大震災の時、また日本海重油流出事件の時には、ロータリアンがその職業を通じてずいぶん活躍されましたね。
宮崎 全国のロータリアンの皆さんの激励や協力を頂いて、重油流出事件の時は私たちも働かせて頂きましたが、ローターアクトやインターアクトのメンバーもよく働いてくださいました。ボランティアの体験を通じて、不登校の少年が自分を中心にしたことを反省し、自分の考え方が間違っていることに気がついて、学校へ行くようになったという話があります。青少年はロータリーの奉仕活動に参加することによって大へんな感化を受けるという実例は沢山あります。
坂部 そういう話はもっと沢山の人たちに知ってほしいものですね。
二橋 どうもロータリーはPRが下手ですね。ポリオなんて莫大なお金を使い又ロータリアンが態々現地まで行ってワクチンの投入をやっており、2005年には世界中からポリオを絶滅させることが出来るというのに、存外そのことがニュースにならない。まことに遺憾なことです。
千 日本人は陰徳を尊ぶ。したがって、善いことをしていても、それを自分から吹聴することはしない。たしかに、佐藤一斎の言志録にあるように「凡そ事を作すは、須らく天に事ふるの心有るを要すべし。人に示すの念の有るを要せず」といった慎みは大事ですが、その人達に伝わらないことも惜しいことです。ハデに宣伝しなくても、ポリオが地球から絶滅されるということはすばらしいことで、皆に祝福されるべきことですから、何らかの方法でメディアがこれを取り上げてくれるよう、ロータリー自体で積極的に働きかけることが必要です。
これでいいのかロータリー
司会 ロータリーは最近になって会員の減少といった課題に直面しているとはいえ、この世紀の間においてすばらしい発展をしてきたことにはまちがいはない。そしていよいよ21世紀に入り、2005年には創立100年を迎えることとなる。
しかし、世界は科学技術の進歩とりわけ電子通信技術の革命的な発展によって、人々との間のコミュニケーションはきわめて迅速かつ容易になりつつある。一方では冷戦解消によって世界戦争の懸念はなくなったとはいえ、他方では民族間宗教間の対立や紛争が頻発していて、そのために大量の難民が路頭に迷うていることも見逃せない事実である。ロータリーはこのような時に新しい世紀を迎えんとしている。さて、21世紀のロータリーは何をなすべきか。どなたからでも、なるべく前向けの提案をして頂きたい。
宮崎 初めに会員の減少防止に苦慮していると言いましたが、ロータリーはもっとスリム化する必要があるのではないでしょうか。会員の質的向上をはかるためには、もっと会員選考を厳格にし、職業分類の原則に忠実になることと、例会出席を奨励すると共に例会をもっと楽しい会合にしなければなりません。ロータリー・クラブの会員を増やすことも必要ですが、真のロータリアンを育てることはより緊要です。
坂部 私も全く同感ですが、この地区はとくにクラブの数が多く、ガバナーは公式訪問だけではクラブの実体を洞察することは困難であると思いますが、クラブの個性(よい面も悪い面も)を見わける眼をもつべきであって、そのよい所をもっと『ガバナー月信』に書いて、クラブの自慢していることを『ロータリーの友』に発表してほしいものです。
二橋 地区の年中行事とくに地区大会はじめ地区協議会、I. M. などを再検討して、もっと内容豊かなものにする必要があります。ガバナーは国際協議会でみっちり勉強してこられるわけですから、その熱意なり研修内容を充分各クラブに浸透するように年中行事の中身をもっと活性化する必要がある。
中野 例会の途中退席者をもっときびしくする必要があります。例会の途中退席者が多いのはメーキャップのために他クラブから来るビジターに多い。アメリカではこういうビジターをイート・アンド・ラン・ロータリアンとかパフ・ロータリアンとか言っているそうです。
司会 例会変更をした場合、それを知らないビジターのためにクラブでは態々幹事が出むいてメーキャップカードを渡しているが、最近京都市内のクラブで、そのメーキャップカードをとりにくる人が100人とか200人とか大へんな数になっていると聞きますが、そういうことはロータリーにとって恥ずべきことです。何のためにそんなことをするのか想像するだけでもおぞましい。そういうことを自ら律するのがロータリアンのモラルというものです。
千 サービスということは、自分のなすべきことをなし、なすべからざることをなさぬものであると考えると、本物のロータリアンはそんなことはしない。沢山クラブが出来ているので、いくらでもメーキャップができるのに、タダだからメーキャップカードをとりに行くというのはまことに恥ずかしい話です。
二橋 都会のクラブだけではなく、地方のクラブでもありうることですが、銀行が昔よくやったdressingドレッシングと同じで、一時しのぎの方便であっても、本来の姿ではない。そんなことよりもっと大きい問題があります。たとえば、地区大会でよく全員登録といわれること、あれは全会員が登録料を支払うが、必ずしも出席しなくてもよいということがクラブで平気で行われていることをやめさすべきです。
中野 それも一種のドレッシング、地区大会に実際出席する人数は登録料を払った人数とちがうこととなるわけですから。
宮崎 地区大会の費用を何とか少なくして、登録料を安くしてはどうですか。
中野 そうしても出席しない人は出席しませんよ。問題はそういう人が地区大会をどう考えているかですよ。とくに2日目はどか減りしますからね。
千 昔はそんなことが問題にならなかったのですが、会員増強を強いた結果、ロータリーの醍醐味を知らない会員が増えすぎたのです。昔なら、地区大会への出席は誰に言われなくても出席するのが当然の義務のように思っていたので、そんな問題は起らなかった。基本的に会員増強を強調するあまり、会員選考がルーズになっているのではないでしょうか。会員資格について昔は品性高潔な男子成人となっていたのが、今ではただ「善良な人」と変わっている。原語は昔も今も good man ですが、邦訳のときにわざわざ「品性高潔」とした当時の指導者の見識に頭が下がります。
坂部 それと昔は事業所がクラブのテリトリーの中になければならなかった。それが今では事業所でなくても住居でよくなった。さらにテリトリーの外でもよくなった。結局、一業一会員の原則がくずれてしまったということも問題です。
中野 昔はクラブに入れて頂いたという気持が強かった。だから地区大会に家族を連れて出席した。今日ではロータリーに入ってやったという気持をもつ人がいて、例会に出席するだけがやっとです。ないこともないほどになった。入会後の教育も不十分、入れっぱなしで推薦者も知らぬ顔をしている。退会の時に推薦者に一言の挨拶もなしに行ってしまう。そんなロータリーだから権威が小さくなり魅力をなくしたと言われるのです。
21世紀のロータリー
司会 ロータリーの悪いところばかり強調されると、何だか未来に希望がもてないように思われるが、そうでもないのではないでしょうか。ロータリーが20世紀の間に大きく発展し世界の平和、人類の福祉のために残した足跡はまことに大きいものがあることは多くの人々が認めるところです。
宮崎 ポリオ・プラス一つをとりあげても、2005年にポリオを絶滅させるために、世界中のロータリアンが力を尽くして活動しております。もちろん WHO(世界保健機構)もロータリーのポリオ絶滅運動を高く評価し、私たちと一緒になって協力支援に力を尽くしているのが現状です。
坂部 WHO の協力はポリオ絶滅に不可欠なもので、絶滅かどうかを判定するにはどうしても WHO の擁する医師団の調査に依存せざるを得ないのです。
二橋 せっかくポリオの絶滅に多大の資金を投じてきたロータリーの功績を WHO が引っさらってしまうということにならないでしょうね。
中野 ロータリアンがポリオのために寄付した金額は莫大なものですし、とくに現地まで行って自らワクチンの経口投与をして頂いたロータリアンも相当おられるわけですから、ロータリーの尽力を無視するわけにはいかないでしょう。
千 中野さんが言われたとおり、ロータリーがポリオのために投じた資金はおびただしい額になっています。そのことはまぎれもない事実ですから、WHO もそのことを充分認識しているはずです。
司会 ところでポリオが絶滅されたあと、ロータリーは何をターゲットとすべきでしょうか。国際ロータリーでは何か考えているのでしょうか。
宮崎 現在のところ具体的に何をするかについて確かな情報はありません。何しろ2005年以降のことですから未だ具体案は出ていないのでは。
坂部 私も存じませんが、エイズなんかも一つの選択肢でしょう。
千 今世界は、何に苦しんでいるかと言うことを考えると、私は「子どもたち」のことが一番大事なことのように思われます。今の「子どもたち」は21世紀の「おとな」になる人たちですからね。
司会 子どもたちの生命を暴力から守り、その健やかな成長を祈るのは世界の大人たちの念願であり、また義務というべきですね。
二橋 子どもたちが暴力の被害者だけにとどまらないで、その加害者になっていることも注目すべきですね。
中野 今の子どもたちは依存心が強く自立心に欠けている。その上欲望ばかりが肥大化してこれをコントロールすることを知らないでいるのです。
宮崎 何故そういうことになったのか、その原因を究めるべきですね。
坂部 ゆたかな社会になったことと無関係ではありません。我が国の場合平和が半世紀以上も続いたということはすばらしいことであったのですが、「平和馴れ」とか「平和ぼけ」とかで苦難に処する道を知らない。
千 一つは家庭生活、もう一つは学校教育に原因があります。
司会 李登輝さんの「台湾の主張」を読みますと「経済活動の進展が社会に功利主義な考え方や投機的な心情をはびこらせ、民主社会に不可欠な相互寛容の精神や相互尊重の気持ちを失わせ、伝統的な美徳たとえば勤勉、倹約、誠実、互助の精神が名利や権勢あるいは富を追い求める欲望に圧倒されてしまう。」といわれている。このような「こころの危機」に対決するために「こころの改革」を提唱しておられます。
宮崎 学校の現場を知らないで言うことはできないが、学級崩壊といったことが拡大してゆくことから想像しても、若い人たちの間に自己中心主義が蔓延し先生がたがそれに対応できなくなっている。その上にマスコミが迎合助長しているところもあり、こころの不安や頽廃がおこるのではないかと思います。現在は兄弟姉妹がなく一人っ子である場合が多く、分かちあう心、ケンカしてものの正邪を知るチャンスが少ないのも原因の一つかも知れない。
千 ロータリーの「奉仕の精神」(他人に対する思いやりの心、助けとなる心)がもっと社会に浸透するならば「こころの危機」はある程度防げると思うと、ロータリアン自身がもっと自信をもって奉仕の精神を日常生活で実践することが必要で、それが出来れば教育のあり方について大いに提言すべきでしょう。
司会 英語の education は educe 引き出すということばから出来ているのでして、子どもたちがそれぞれ天から与えられている能力や個性を引き出すのが教育の本来の意味です。しかし、今の学校教育はあまりにも画一的になっており、ひとりびとりの能力や個性を引き出す役割を果たしていない。
坂部 よく出来る子はよいが、少し弱い子どもにとっては大へんな重荷となっていて、それが嵩じてぐれたり、不登校といったことがおこるのです。
二橋 昔の寺子屋のような心の通う教育は出来ないものでしょうか。
中野 先生が子どもたちと泥んこになって遊んだり、学んだりすることが必要です。
千 生涯学習ということばは英語では LIFE-LONG LEARNING と言い、人は一生かけて見様見真似で自らの努力と工夫でちえを身につけるということを意味しています。茶道のお稽古も一つの生涯学習でして、宗匠のやることを皆が一生懸命見ていて、真似る。そして歳月をかけてだんだん上達して、身のこなしが充分できてくると、心も「和敬清寂」とか「一期一会」といった茶道の奥儀を会得するようになるのです。
司会 21世紀のロータリーに期待することは世界の子どもたちを本当にしあわせにすることです。心身共に健やかに育ってほしいという念願を具体化するためには、現在の「こころの危機」が何故おこったのか、これを治すために具体的にどうすればよいかをロータリー・クラブなりロータリアンが真剣に研究し、それを行動に移さなければならない。
20世紀はポリオという疫病を退治したが、21世紀はこどもたちを心身共に健やかに育てるということに全ロータリーが真剣にとりくむべきである、と結論づけてよろしいでしょうか。
一同 そのとおりですね。