活動報告ACTIVITES REPORTS
米山奨学生卓話

米山奨学生 李婉菁さん
桜井ロータリークラブ
米山奨学生 李 婉 菁
桜井ロータリークラブ
米山奨学生 李 婉 菁
まず、自己紹介をさせていただきます。 私は李婉菁(リ エンセイ)と申します。1997年1月8日に中国山東省日照市で 生まれた。私の故郷である日照は海辺の都市で、その名は「日の出の光が最初に照らす土地」という意味に由来している。毎年1月1日には、多くの⼈々が海岸に集まり、新年最初の日の出を見ようとする。しかし、私はこれまで⼀度も見たことがない。その時期はいつも海外で勉強していたから。
日照は海の景観だけでなく、緑茶や黒陶⽂化でも有名である。今⽇はその中で も、特に黒陶についてご紹介したいと思う。黒陶とは、全体が漆黒で、胎壁が非常 に薄いという特徴を持つ伝統的な陶芸技術であり、「卵殻陶」とも呼ばれている。 日照の黒陶は龍山文化において最も代表的かつ典型的な陶器である。龍山文化と は、新石器時代後期(約4000年前)に黄河中流・下流域に広がった⽂化のことで、日照市にある遺跡は、龍山文化の典型的な遺跡として発掘された。両城鎮は「紀元 前2800年から前2000年頃におけるアジア最古の都市」とも称されている。
私の趣味は多岐にわたるが、最も長く続いているのはサッカー観戦と物語を書 くことである。特に好きなチームはドイツ代表で、2016年にはフランスで開催され たEUROの試合を現地で観戦した。さらに2018年からは、友人と⼀緒にeスポーツの 試合観戦も始めた。もにeスポーツの試合を観戦し始めた。留学生活が長く、⼤半の 時間を海外で過ごしているが、休暇を利用して上海や韓国に赴き、現地の試合の雰 囲気を体験してきた。スポーツ観戦が好きだと話すと、「自分も運動が得意なのか」と問われる。しかし実際にはそうではない。卓球、テニス、スキーなどを習ったことはあるが、どれも得意とは言えません。
高校卒業後はイタリアのフィレンツェ大学で2年間、西洋美術史を学んた。その過程で東洋美術史や仏教美術により強い関心を持つようになり、日本へ留学する ことを決意した。小さい頃から鑑真の日本渡来の物語を知っていたため、奈良には 特別な憧れを抱いていた。進学先を選ぶ際も、迷うことなく奈良を志望した。

流暢な日本語で卓話
私が奈良に来たのは、新型コロナウイルス感染症が拡大した最初の年であった。当時は外国⼈観光客のみならず、日本人観光客もほとんどいなかった。私はほぼ毎週奈良公園を散策したが、鹿に餌を与えることはなかった。鹿は草を食べる方が健康的であると信じていたからである。
2021年の春には、友人とともに吉野山に花見に出かけた。体力に乏しい二人の 「インドア派」が山頂まで登り、再び下山した。それはここ数年で最も長い道のり を歩いた経験であったが、行ってよかったと心から感じた。吉野山は、当時の私に とって心の平穏を感じられる場所であった。山頂の寺院に座り、空を見上げ、満開 の桜を眺めていると、煩わしいことはすべて消え去るように感じられた。
また同じ2021年の夏には、友人が私を北海道へ連れて行ってくれた。中国での 感染再拡大により帰国便が欠航となった際、友人がそれを聞いて、北海道旅行を提 案してくれたのである。知床峠に行き、海に出て鯨を見、旭⼭動物園や阿寒湖にも 足を運んだ。友人が車を運転し、多くの自然景観を見せてくれた。都市を離れ、日本の自然環境を深く体験したのは、そのときが初めてであった。 私にとって日本の最も美しい記憶は、ほとんどがコロナ禍の時期に結びついている。多くの⼈にとっては苦しい時代であったかもしれないが、地球がほとんど停 止したかのようなあの期間に、私は多くの豊かな生活体験を得て、それを生涯忘れ ることはない。
次に、私の学習と研究について述べる。 私は奈良大学分学部分化財学科を卒業し、研究分野は仏教美術史である。卒業 論分の題目は「法隆寺金堂壁画の植物文様についてー第6号壁画を中心でー」であっ た。本論文では、唐草文様の起源と展開について考察した。エジプトのパピルスに 始まり、ギリシアのアカンサス、中国の唐草文様、そして日本へと伝わる過程を研 究した。研究の目的は、東西文化の比較と融合を探ること、さらに文化が伝播する 中でいかなる変容を遂げ、異なる文明においてどのような特徴を示すかを明らかにすることであった。
現在、私は奈良教育大学大学院伝統文化教育専攻に在籍しており、修士課程二年次である。所属は造形美術研究室であり、研究対象は正倉院の双鳥文様である。 研究を始めたきっかけは、学部時代に植物文様を研究する過程で、動物、特に 禽類がしばしば植物文様と組み合わせて用いられることに気づいたことであった。 その後、正倉院展を見学した際に、正倉院の宝物における鳥類文様の分類が曖昧で あることに気づき、この分野の研究を志すに至った。

歓迎のポスターの前で
研究目的は、双鳥文様がどのように誕生したのか、また異なる文明のもとでいかなる変容を遂げたのかを明らかにすることにより、文化交流の意義を考察する点 にある。 研究内容は大きく三つに区分している。第一に双鳥文様の定義、第二にその歴 史的展開、第三に双鳥文様に関する図像学的研究である。現在は研究の最も重要な 段階、すなわち比較図表の作成に取り組んでいる。主たる研究対象は新疆地域から 出土した織錦であるが、織物は保存が難しく、用いることのできる資料は必ずしも 多くない。この点については指導教員も苦慮しているが、今後も努力を続けていく所存である。 卒業後は中国に帰国し、博物館において企画展示や教育普及活動に携わりたい と考えている。幼少期から母が各地の博物館に連れて行ってくれたこともあり、私は中学生の頃にはすでに歴史に関わる仕事に就きたいと決意していた。当時は考古 学的発見に関する書籍を多く読んでいたため、考古学者を志していた。しかし人類 学や民俗学を学ぶうちに考古学への畏敬の念を抱くようになり、さらに絵画や美術 への関心が強まったことで、次第に美術史へと学びの重点を移すことになった。 私の故郷においては、幼少期には体系的に整った博物館は存在せず、旅行の際 に立ち寄る博物館や科学館が唯一の見学の機会であった。現在においても、中国の 中小都市に暮らす学生たちは、休暇を利用して北京や上海といった大都市の博物館 を訪れるのが一般的である。これらの都市の博物館は、長い文化的蓄積を有する か、あるいは大規模な考古学的発見を背景に日常的な展示活動を行なっている。
一方で、文化資源の分布の不均衡により、中小都市の博物館は十分な資料を得て地域文化を補完・展示することが困難である。私が中国の博物館で働きたいと考 3 える大きな理由の一つは、中小都市の学生たちにも美術史の教育的体験を提供した いからである。 この夏、私は日照博物館において約1か月の実習を行った。特別展覧会「世界 昆虫標本展」の設営に携わり、展示及び教育普及活動に広く関わることができ た。その中で、人員の不足や専門職員の欠除により、展示部門と教育部門が多くの業務を兼任している現状を実感した。展示業務や対外調整のみならず、後方支援まで担わねばならず、時には売店でアイスクリームの補充を手伝うこともあっ た。 このように、現場での仕事は必ずしも私の想像と一致するものではなかったが、それでも私は博物館で働くという選択を揺るがすつもりはない。博物館は生涯学習の社会的拠点であり、来館者に学びを提供するだけでなく、そこで働く私たち 自身にとっても学びの場である。私は博物館での仕事を通じて、引き続き学びを深 め、美術史という専門分野への情熱を持ち続けたいと考えている。