京都東ロータリークラブの橋本でございます。しばらくの間、お耳をお貸し下さいますようお願いを申し上げます。実は私はこの夏、7月の西村ガバナーの公式訪問を終えて、間もなくから本日より2、3日前迄アフリカのケニアに行って参りました。今日はまだ帰ったばっかりで、時差ボケもあり何を言うかあやふやなところがありますが。何故に私がケニアに行ったか、今日のテーマとどういうふうに関係あるのかについて最後まで話しができればなと、いうふうに思っております。
 最初にケニアで撮ってきた写真をお見せ致します。写真が非常にヘタクソなものですから、大したものじゃないですが、大抵の人がアフリカを訪れる理由の一つとして、こういう子供達の汚れのない目を見たい、というのが大きな動機になっているように思います。アフリカの子供達は大抵こういう顔をしておりますし、それには非常に感動しました。次お願いします。これはサファリですね。サファリに行かれる方も結構多いものですから、サファリも覗いてみました。次お願いします。同じくサファリで、これはヌーの移動の時期でしたので、ヌーが大量にいます。次お願いします。これは鳥ですね。フラミンゴで別の国立公園ですが、大変きれいな所です。次お願いします。これが治療風景といいますか、私が直接関わったプロジェクトの一部でございます。次お願いします。写真でわかりますでしょうかね、子供達は誰も靴を履いておりません。靴というか履物を履いておりません。こういう状況の所へ行って来たわけです。

 実は私達が行ったメディカルリサーチは、住血吸虫症の患者に対するものでありまして、場所はムアチンガーという孤立した村でございます。人口千七、八百人の所でありますけれども、そこには病院はありません。唯一京都大学の関係者によって建てられた診療所がございます。その診療所に対して、今回私は、京都東ロータリークラブの国際奉仕委員会からお金を頂戴して、その診療所の運営費と、薬剤共に一年分寄贈しに行くという事が、目的の一つでありました。個人的にはですね、ケニアに行ってHIVの状況について調べたかった、という事がございます。
 HIVについては、先に日本の事について言いますと、HIV患者はだいたい一万人というふうに言われております。ケニアでは5%〜10%。もし5%だとすれば百四十万人ぐらいの患者、10%だとすれば二百八十万人くらいの患者がいます。まあ一人の患者の治療する費用というのは、日本円に直しますとだいたい五千万から一億円という事ですので、とてもケニアではそういった費用は持てないという事です。たまたまナイロビ国立病院で聞いたところでは、入院患者の八割ですね、別にHIVと関係の無い患者も含めてですが、八割の方々がHIVの患者である、という状況でした。じゃあ、その治療はどうするんですかというふうに聞きましたらimpossibleと。もう何もできない、死ぬのを待つだけという状況でございました。

 それで先程の、住血吸虫症の話しですけれども、子供達ですね、村の子供達の罹病率、病気になっている人の割合ですが、80%、80%の子供達の大部分がですね、尿を取りますと、住血吸虫は腎臓等に住着きますので炎症を起こしてまして、尿が絵具で染めたように、まっ赤なものが出ております。まあ、日本のお母さんが見れば、多分卒倒されると思いますけれど、そういう状況です。そして、親の方はだいたい罹病率が40%程度という事で、自覚症状等を見ますと、大抵の人が罹病しているんじゃないかと思いますが、そういう人達には薬は与えられない。
 住血吸虫症に対する薬というのは、1回投与だけで、しかも一錠が8円程度の薬ですから、そんなにお金はかからない。それで、1回投与でいいわけですから大したものではないんですが、現実にはそのお金も出ないと。それでも日本人がそういうプロジェクトを組んだ時に、たまたま薬が行き渡るという格好になっております。
 従いまして、HIVに対しては、もう全然治療も何も到底できない。ケニアではまだ5%〜10%と言われてますんで、まだましなんですが。たまたま、その近くのルアンダとかボツワナとかという所に行きますと、国民の40%位がHIVのポジティブの患者であるという状況です。

 そういう所へですね、余り多額ではないんですが、京都東ロータリークラブから、診療所の一年分の薬品代と人件費も含めまして、運営費を持って行きました。そうしますとですね、それはもうものすごい反響でして、村人の人達はそれから私の顔を見る度に、もう神様のようにですね挨拶をしてくれます。この村を助けてくれてありがとうと言う、皆がそれを言ってくれるわけです。毎日毎日同じ村へ通うわけですけれども、その毎日が、感謝の言葉を言ってもらうのを避けるのが大変なぐらい、皆挨拶をして頂きました。非常に、行って良かったなと、思っております。時間が大分経ってきまして、何でケニアに行ったのかと、ロータリーの関係がちょっと出てきました。

 実は私は、50歳になってですね、弁護士ばっかりやってるのも、という気もしましたんで、京都大学の大学院の医学研究科に入学しました。そこで博士課程に行っておりますが、その関係でケニアに行ったという事でございます。
 私のロータリーの生活というのは、約20年ちょっとになりますけれども、一番最初にですね、私が京都東ロータリークラブに入会させてもらった時に、横に座られたお年寄がいまして、そのお年寄のロータリアンのお名前は、その時は存じ上げませんでした。でも、「あっ君が今度入った弁護士か」、「まあ気楽にやりなさい」という事で、経営の話とか色んな事を教えて頂いたんですが、名前も知らないままでした。ある日、クラブから、葬儀に手伝いに来て欲しいという事で、行ったら、それが実は、ヤクルトの創始者代田稔さんでございました。あっ、そんな方だったら、もっと聞いとけば良かったかなというふうに後で思ったわけですが。まあ、ロータリーというのは、一辺にそういう人と友達になれるという、素晴らしい経験ができました。それから更にですね、すみません最後の一枚をお願いします。

 今、そこに出ていますけれども、これはある会員が、ロータリー財団への基金と米山基金と国際善意基金という東ロータリー独特の基金に対する奉仕をして頂きまして、その時に私に対する感謝の気持を綴って貰ったものです。私は弁護士として、この方の事件ではないんですが、この方が紹介をされまして、やった事件ですが、大成功裡に終わりまして、こういう言葉を頂きました。なかなかこういう言葉っていうのは頂けないにもかかわらず、職業奉仕を通じながら、友達として親友としての深みを増していったという事でございます。こういう方達の世話でもって、常に新しい物に挑戦して行こうという事で、多分私は、大学に入ったんだろうと思いますし、そしてまた、ケニアにも挑戦しに行ったという事でございます。いつも、ロータリーというのは素晴らしいなと。私の人生は、全てロータリーからきてるというふうに、思ってる今日この頃です。ありがとうございました。

坂部 ちょっとすみません。遠くのほうの方はせっかくのいい文章が見られない方もあると思いますので、もう一度お口でおっしゃって頂けますか。
橋本 処世訓その1、有能な弁護士を刎頚の友とすべし、処世訓その2、真のロータリアンを心の友とすべし、処世訓その3、これらの友に畏敬と感謝の念を持ち続けるべし。というのが、その方からの名前はちょっとさけますが、これは京都東ロータリークラブの週報からの抜粋でございます。