坂部パストガバナー、リーダー、大変ご懇篤なご紹介を頂きまして、恐縮いたします。坂部リーダー、パストガバナーと私は、小学校の同窓でございます。京都教育大学の付属小学校で6年間、一緒に学びました。彼は秀才でして、素晴らしい才能を持っておりまして、その頃からお医者様になられるのかと、思っておりましたら、やはり名医になられたのでございます。先程、えらく謙遜をしておられましたけども、彼ほど素晴らしい奉仕者は無いと、思っております。そして、今日は坂部リーダーが、西村ガバナーの指名で第3組のインターシティミーティングのゼネラルリーダーを務められる。誠にむべなることかなと、私は思っております。坂部リーダーの指導で、時間は短こうございますけれども、第1部、第2部、皆さん方が色々とロータリーについて、日頃からお考えを持ってらっしゃると思うのです。疑問も持ってらっしゃる。そういうものを、少しでも、解決して頂く事ができたら、このインターシティミーティングは素晴らしい結果を生み出すものであろう、と思っています。西村二郎ガバナーも、御就任早々公式訪問や色んな事で、随分お疲れになっている事と思います。また、パストガバナー、小谷パスト理事初め、岡村ガバナーノミニー、それぞれ皆さん方が、控えていらっしゃる。色んな意味で、参加者にはいいチャンスであります。私の祖先の千利休が教えました言葉の中に、「恥を捨て、人にもの問い習うべし、これぞ上手の基なりける」。何でもわからない事を、わからないままにしてしまうと、一生わからない。だから、こんな事を聞いてと思うような事でも、それを、先輩の方々に伺って、そして自分なりにそれを理解していく。ロータリーを理解するという事から、自分の身近なものになっていくのであります。やはり、ロータリーを遠い存在のような所に置いておきますと、いつまで経っても、真のロータリアンにはなれない。

 真のロータリアンという事は、即ち、Service above self 超我の奉仕、そして自分の職業それを通じまして、I serve. We serve. という大事な理念というものが、自分の全身に充満してこそ、初めて素晴らしいロータリアンになれるのであります。ただ、例会に出て、そして知ってる友達だけでやあやあ言って、食事をして、お話を聞いて、そのお話も途中で退席してしまう。わずか一時間の例会でもですね、ロータリーのバッヂを付け乍ら十分に例会に出られない会員の方が、全世界に何十万とおられる。これをいつもR.I.の会長方は、世界大会であるとかあるいは、ロータリー研究会の席上で、指摘されます。もっともっとロターリーもメンバーが、ロータリアンに成るように、自分自身努力しなければいけない。その為には、一時間の例会というものは、大事なのだ。その一時間の例会に出て、何か感動するもの、何かロータリーについて、今まで知らなかった事を知るという事によって、初めてロータリーに対する認識、またロータリーというものに対して親近感が生まれてくるものである。そういう事を、いつも指示されるのであります。

 そして、皆様方もこのお暑い中にも関わりませず、然も土曜日に一生懸命勉強しようとして、出席されている。私はそれだけでもクラブの高揚の為に、皆さん方は、大きな役に立たれる方々であると、信ずるのであります。従いまして、どうぞ、今日この場を逃さないように、何か感動、そしてその中から自分の行動というものが、ロータリーを通じて実りますように、と念じております。

 お茶席へお行きになった方は、ご覧になって頂いたと思います。喫茶去(キッサコ)という横物の軸が掛かっております。喫茶して去れ、お茶飲んだらさっさと帰れ、という意味ではございません。禅の方では、去るという字を書きましても、帰れという事ではないのです。それよりも、「まあ、一服お茶でもどうですか」というのが、喫茶去の意味なのです。一つその意味を熟読吟味して頂きたい。お書きになったのは、私が大徳寺の僧堂で修行を致しておりました時の老師で、後藤瑞巌老師、近代の名僧、傑僧と言われた方でございます。この喫茶去いうのは、中国の唐の時代に趙州和尚という和尚さんがいました。その和尚さんは、会う人毎に、何か言うと「喫茶去」「喫茶去」と、もう「喫茶去」ばかり。まあ、お茶でもどうぞ。お茶を一服召し上がれと、いう事を言われる。その元で修行している坊さんが、趙州和尚にある日で、和尚さんはいつでも「喫茶去」「喫茶去」と言っておられるのは、何で「喫茶去」と言われるのですか、と言ったら、それに対してまた「喫茶去」と言われた。これは、禅の問答でございます。所謂公案という事でありますけれども、大変難しいですね。「喫茶去」所謂趙州和尚は、何でも、理屈も理論も後にして、一服、お茶を飲むという事によって、人間らしさというものを得る事ができるんだよ、と。まあ潤いとか、癒しであるとか、そうした心を得る事ができるのだよ、という事を「喫茶去」という事で、お教えになったのです。ですから皆さん方も、お茶を一服召上がって「もうお茶なんてけっこうだ」なんて言わないで、お茶を一服召上がる事によって、自分の心の癒し、自分の心の安定、そういうものをその中から見付けて頂けましたならば、あの「喫茶去」が大変役に立つものである、私はそういう意味で、あの「喫茶去」を掛けさせて頂いた。

 つい一週間前に、私の方に、これは毎日のようにロータリーインターナショナルの方から、FAXが入るのです。もう、大変な量のFAXが入って参ります。それには、理事会の事、それから私トラスティに対しての指示事項、あるいはロータリー財団の月間の世界中の寄与されました金額であるとか、色んな事がFAXで、入って参ります。ロータリーインターナショナルの事務局へそれまでは電話をしたり、出向いたりしなきゃならなかった手数が、この頃は、省かれて便利良くなりました。然し、年間4、5回トラスティミーティングがあります。そこへいちいち出掛けなければ、色んな問題が実際は解決できないのです。私は、つい一週間前に、多くの書類を頂きました中に、非常に重要な問題がありました。簡単なFAXでありました。He profit most who serve the best.私達が慣れ親しんで参りましたロータリーの一番大事なモットー、これが、私が理事をやっておりました1988年の時代に、ある宗教団体の方からHe profit most who serve the best.という事は、良き奉仕をした者に対してはより良き報いがある、という事はおかしいのだと。こういう事はおかしいのではないかと、奉仕というものは、無我のものでなかったらだめだと。何か奉仕に対して、こうしたから見返りがあるとか、奉仕をした者に対して最も素晴らしい報いがあるという事は、これは嘘だと。こういうようなテーマを使うという事は、どうだろうと申し入れがありました為に、理事会では、これを取り上げまして、検討の結果。これは長い間ロータリーのモットーとして使ってきたのだが、そういう事ならこれは、表に出さずに、表面にはservice above self 超我の奉仕、これだけを出しておこう。そして、その下にHe profit most who serve the best.という今までのテーマを置いてという事になりまして、それがそのまま、今日まできました。

 ところが、坂部パストガバナーが地区の代表として、3年に一度ございます規定審議会、ロータリーの色んな議事内容を検討し、そしてロータリーの規約、その他を訂正していきます重要な規定審議会に参加されました。その時に、He profit most who serve the best.という言葉が、取り上げられまして、Heはいけないと。男女、所謂性別区別というものが、あってはいけないと、いう時代になりました。ロータリーでもそういう意味におきまして随分今まで、Heという字を使っておりましたのを消しまして、そして、男女全て男とか女とか言わずに、人間というものを表面に出すように、してきたのでございます。私も、理事会でそういう色んな話がありました時に、これはあぶないな、いつかHe profit most who serve the best.というのが削られるんじゃないだろうかと、思っておりましたら、案の定Heがいけないと。まあ非常に細かい事なのですね。そういう事で、擦った揉んだがあって、結局それが規定審議会で一応取消そうと、いうような事になったのが、理事会で確定致しました。今後He profit most who serve the best.というテーマは、使わないで欲しいと、いう事を言って参りました。そこで私は、こういうような事が、簡単に決められたのでは、本当にロータリーの存在意義というものが潰れてしまうんじゃないかという事で、さっそくキング会長に、これはもっと検討すべきであると。今ここで、そういうように取止めだというふうな事をおっしゃらずに、ぜひ一つ、検討課題として特別委員会を作って、検討する事を望むという意見具申を、キング会長宛に出しました。まだ、それに対する返事は参りません。でもおそらく、規定審議会で話題にあがって、決まって。そして理事会でそれが討議されて、結局は、He profit most who serve the best.というのは使わないでおこう。いうような事でお蔵入りになってしまう。これは非常に残念な事でございます。ここにいらっしゃる方々も、もうロータリーからHe profit most who serve the best.を取ってしまったならば、これはもう本当、何の意味もないだろう。いうようにお思いになる方々も随分いらっしゃるだろうと、私は思います。

 しかしながら、奉仕という理念の元に、ポールハリスがロータリーを作ったというように言われておりますけれども、実際ポールハリスの伝記とか色んな物を読んでみますと、実はポールハリスは、初めから奉仕という事は言ってないのです。要するに、ロータリーを作ったというのは、1905年世界恐慌の中で治安が非常に悪くなってきたアメリカ、しかも景気も悪い。不況、今のちょうど全世界の経済恐慌のような状態でありました。そういう時代にですね、何とか自分だけでは非常に頼り無い、しかもポールハリスは、シカゴに出て来て友達も誰も無かった、非常に孤独感を感じたのです。孤独感を感じておりましたので、友達を得たいと。いうような事で、石炭商であるとか、洋服商であるとか色んな友達を自分が作って、そして、その友達方と話しをしてる間に、お互い職業は違うけれども、色んな事を意見交換してそしてこの経済恐慌を切抜けて行こう、そしてまた、できたならば、我々の力では小さいけれども、しかし1人より5人、5人より10人、10人より20人集ったれば、まあ今頃よく言いますね、1人でやれば恐いけれども皆でやれば恐くないというような事もあります。そういう意味に於きまして、ポールハリスは、みんなでやれるようなクラブを作ろうじゃないかと、いう事でできたのがロータリークラブなんでございます。そして、その会合を重ねてる間に、色んな規約も作っていこう、というような事で、規約ができていったわけでございまして、初めからですね奉仕の理想というような事を言ってできたものではありません。またポールハリスも晩年言っております、今日のように世界中にロータリーができるというような事は、自分が作った時には思いもしなかった。思いもよらなかったと言っています。それが、全世界にロータリーが生れました。そしてしかも、奉仕というものを掲げて、メンバーの方々が自分達の人格の高揚というものを図る為に、色々な内容を定めていこうと、なされている事に対して、ポールハリスは非常に感銘をうけたということが伝記の中に、あるいは他の書かれた物の中に出ています。これだけ組織が大きくなりますと、やっぱり目的というものを、旗印というものをハッキリと掲げて、その旗印の元に皆が結集することが大切です。世界各国の人達が、私の国はこうだ。私の国はこうだって言ってたら、キリ無いのです。でもロータリーは、そういう事一切言いません。そこに区別、差別の無い、一つのロータリーというものの、大きな理想というものがあるわけでございます。

 そして、面白い事にはですね、1911年16のクラブが米国で生まれたわけです。初めてオレゴン州のポートランドで、第2回目のロータリーの大会が開かれました時に、シカゴのメンバーでございますアーサー・シェルドンという人が、そのスピーチで次のように言われたのですね。職業を学ぶという事は、奉仕を学ぶ事である。最も良く奉仕する者は、最も多く報いられると。いう事が、先程申しましたHe profit most who serve the best.いう言葉でございます。その上に、職業を学ぶという事は、奉仕を学ぶ事である。The study of business is a study of service.最もこのサービスという言葉につきましては、色んな意見が出たのであります。特にキリスト教徒、そのキリスト教徒の多いアメリカでは、奉仕というのは、神の良き僕である。そして、自分よりも恵まれない人達の為に、自分の手を尽そう。いわゆる日本の言葉で申しますと、布施でございます。まあ釈尊が色々な布施というものをお教えになる。特に身近なものでは、六道、六つの道というものがある。この六つの道6 way。four wayテストじゃございませんけど、6 way。これは身近に感ずるものです。まず、その六道というものの一番上にあるのが、布施なのです。布施が一番上にある。それからその二番目にあるのが忍辱、これは食べるニンニクじゃありませんよ。忍辱というのは忍耐の忍、辱、要するに辛抱するという事。布施、忍辱、そして、持戒、戒を持つですね。色々自分で、こうしちゃいけない、ああしちゃいけないと、自分で一つの戒めをつくる、そして羽目を外さない。所謂道徳的な自分自身にあてはまるような基準を作るという事が持戒。第四番目が精進、精進努力する精進です。第五番目が、禅定。禅宗の禅という字に定まるという字、禅定。これはおちつきなのです。さっきの「喫茶去」の話しと同じ、まあ一服お茶でも召上がれ。まあおちつきましょうや。お互いにイライラしないで、和らいだ心をもつこと。禅定ですね。静かに物を考えみつめる。そして第六番目に智慧、まあ万能という智慧ですね。第一番目に布施。この布施でいう言葉が所謂無財の七施という教えになってくるのです。無財の七施というのは、これは、自分が見返りを求めてやるものは一つも無いのだと。自分より恵まれない人の為に、色々な自分でできる事をしよう。お金の無い人は、所謂自分の体で、心で、目で、顔で、布施をしよう。顔施、眼施、身施、心施、言辞施、座坐施、房舎施、そういうような事ができる。所謂行動ですね。アクションをしよう。正に考えてみると、four wayテストやロータリーの奉仕をいうものに合ってるのですね。

 ロータリーの奉仕というものは、キリスト教がかっていますけれど、神と人への奉仕だと、歴代の会長方もいわれている。それからメンバーの人達も言っている。何かをする事によって、その時に、もう電気に触れたような感激性を持つという事。感激を持つという事が、奉仕というものの原点であるという事です。こうするのだ、ああするのだ、もうどこの地区でも世界社会奉仕というものをやっております。色んなプロジェクトがある。それと取組んで、毎年毎年ガバナーが考えられてですね。例えば、この地区では、今までずっとポリオワクチンを投与する為に、モンゴル、ネパール、ラオス、ベトナム、色んな所でガバナー達自らが薬を投与してこられた。それが為に2650地区は、ポリオに大きな寄与をし、またポリオに対して大きな関心を持ち、そのポリオを撲滅する事に多大の貢献をしたという事で、昨年山崎ガバナーの時に、官民合同の、西大西洋に於けるポリオ撲滅の宣言を、京都でする事ができたのです。ですから、奉仕奉仕といいましても、本当に身を持ってですねロータリアンは、しかも勿論皆さん方から頂いた浄財というものをも、その浄財と自分の身、すなわちアクション、行動を持って、色んな所へ行って色んな奉仕をさせて頂いてる。

 また、難民を救うこと。自分よりもっともっと恵まれない人達が世界中に居る。その人達に対して、手を差し伸べようじゃないかと、そういう暖かい手を差し伸べようじゃないかいう事だけでも、これは奉仕の一端になってる。それを、それじゃどういうようにするのか、いう事になり具体的になってきますと、今度は、それじゃあポリオが終われば、今度は別のプロジェクトに取組もうではないかと。例えば、今問題になっておりますのが、地雷、カンボジアの国境など、地雷の為に随分障害者になった方々がおられる。しかも、家や畑が皆地雷でめちゃくちゃになってですね、refugee所謂難民が多い。その地雷land mineの為にrefugeeになっている人達が多い。refugeeになってる人達を救うという事が、大きな問題に今なってきてるのです。ですから、その場へ行って、そういう人達に触れて、そして手を差伸べて。失望しちゃいけません、悲しんじゃいけません、我々できる事なら、あなた方が立直るようにしてあげたいという、激励の言葉を与えるだけでも、これは大きな感動の行動でございます。

 ですから、まあ六道といえ、今の無財の七施といい、私どもがロータリアンとして、しなければならない事が沢山あるのです。そういうしなければならない事どもをですね、どうか皆さん方が何か一つ、思い起こして、そして、自分が思い起こした事をクラブに伝えて、そしてクラブだけではこれはどうもできにくい、という事であれば、ガバナーに申告して、その地区で全体で協力してやって頂くという事がI serveからWe serveというものになっていくのです。皆さん方一人一人がI serveなんです。I serveの精神を持って頂く。I serveの精神を持って頂いて、そして、できる事はI serveでやる。だけども、一人でできない事は、皆で一緒になって考えてやろうじゃないか、という時に、すなわちロータリーの奉仕のアクション、行動が起こってくるのです。そのアクションを実際に実現して頂く事によって、私達のやるべき仕事、任務という事がロータリーを通じて理解する事ができる。しかもそれに依って自分達の心構えというものが、できるわけです。そうしますと、私達が少しでも人間的な高揚をはかる事ができるという事を、思って頂きたい。ロータリーは、人間を高揚する学校である。私は、いつもそういうように思っております。人間が高揚できる学校は必要なのです。私達は、学ばなければなりません。それが証拠に、ガバナーになられますと必ず、ガバナーの研修会がある。皆、ガバナーになられる前私も含めてですね、日本なら日本のガバナーが一緒に勉強にいくのです。そうしますと全世界からガバナーが皆集まってる。あっと入口見たら、enter to learnと、書いてあるのですよ。enter to learn学ぶ為に入れ、と。enter to learnで入った以上は学ぶことの尊さを知る。頭の先から爪先まで奉仕を学ばねばなりません。そして、出る時に、go for the serve奉仕の為に行け。そういうような、厳しい一つの入口、出口がある。だから、ガバナーは、帰って来られると筋金が一本ビーンと入ってですね、ガバナーらしい顔になってこられる。西村さんも、ガバナーの顔です。そういうような事でありますから、皆さん方もenter to learn今日はそういう気持で、素晴らしい坂部ゼネラルリーダーの元、人間高揚の為に、皆さん方が感動する一つの奉仕、アクションというものを学んで頂いたら、有意義なものになるのではないでしょうか。

 せっかく集まって来られたインターシティミーティングでございます。皆さん方がお帰りになったら、参加されてないクラブのメンバーの方に、こうした意義を伝えてほしいのです。ただ報告だけじゃなくて、お帰りになったらどなたかがリーダーになられて、今日のインターシティミーティングの色んな模様を、クラブの中で討議して頂いたらもっと素晴らしい、高揚性というものが発揮できるのではなかろうか。そういう事を申し上げまして、私の限られた時間が参りましたので、話しを終りたいと思います。奉仕そしてそれにともなう人間性の充実を学んでほしいと念じております。